2005/04/26

ゴスペラズのライブについて

先日の私のエントリにメールやコメントで感想をくださった皆様に
心からのお礼を申し上げます。物凄く嬉しかったです。


頂いたメールの多くは、『楽しかったけどなんとなく物足りないと思った』
という感想を抱いていた方からで
その方たちが思ってたなんとなくの物足りなさの一部を
きれいにまとめようとしていると私が表現したのかなあと思ってます。


ライブに求めるものは、一人一人違う。
だから自分が感じた物足りなさと言うのは、たまたまそのアーティストの
目指す方向性と自分の観たいものが合致しなかっただけだと。
ただ、それだけであると。
それだったらいいと思うんだけど。
ゴスペラーズのライブに関しては、本人の目指すものと
彼等の周りの人間の目指すものが違うような気がして
それが物凄く観てて苦しいと言うか、窮屈な印象を受けた。

彼等のライブは楽しい。とてもレベルが高い。
それはまごう事なき事実であり、だからこそ今回のツアーは
初めて彼等のライブに行った人が皆楽しかったと言っている。
そういう感想を様々なサイトで見かけた。
彼等はそれだけのクオリティのライブをやっているわけで
私自身だって彼等のライブを凄く楽しんでる。

だけど。だからこそ。
彼等のライブのレベルの高さを目の当たりにしてるからこそ
こんなもんじゃないだろう、という想いが生まれる。
濃い曲をやれとか、そういうのは自分の個人的嗜好の問題だから
それはおいておいて。
単純に、本人たちはこのレベルで。
こういう風にきれいにまとまりきってて、満足なのだろうか。
計算されて、洗練されたステージはとても見事だ。
高いレベルでステージをこなしてると思う。
だけど、そこまでは客の期待の範疇だ。
ホリエモンが言うなら『想定の範囲内』なんだ。

「ゴスペラーズって、聴いたとおりいいライブをするね。」
「ウワサどおり、凄く楽しかった。」

そういう感想ばかりになってないか?
自分の思ったとおりの楽しさ。
期待通り、100%の楽しさ。満足感。
それを確実に与える力を彼等が持ってるとして。
だけど、いつライブに行ってもそれしか思わないのはどうなのかな。


マボロシのクソ長いライブレポの中に、
『マボロシのライブは、毎回毎回その瞬間に居合わせないと得られない
ものが必ずあるから何度でも行きたい』
というようなことを書いた。
自分達のやりたい音楽を、やりたいようにやってる彼等のステージには
彼等が作った秩序のみが存在している。
スカパラのライブも、圧倒的な力が存在してた。
自分達がそこに立っていることに絶対的な自信があって
ひとつも躊躇いがないから。
一つ一つのステージに反省点はあったとしても
自分が立つことに不満も不安もなく、ただ、本当に己の足だけで立ってる。
そんな自信と確信に満ち溢れてる男が10人いるので
エネルギーとしてはそりゃもう凄まじい。
ミッチーだって、スキップカウズだって、自分を貫いてる。
だから、ライブは全力で楽しい。


ライブとは、本来そうあるべきなのだ。
音楽やってる人間が、完全に解放される場所じゃなきゃいけないのだ。
武器は自分しかないんだから、確信と自信がなきゃ成立しないのだ。
そこに、誰かの枠なんか存在しちゃいけない。
自分達で音楽を作ってるゴスペラーズなら、余計にそうだと思うんだ。
自分自身を曝け出す場所であるステージで、どうしてゴスペラーズは
武装してるんだろう。


期待通りの楽しいライブはもういい。
模範解答80点のライブももういい。
彼等が己の秩序だけで作り上げたステージが観たい。
自分達の好きな曲を好きなように唄えばいい。
それをできるだけの実力はあるんだから。
予想を裏切るようなことをしてみて欲しい。
解き放たれた彼等の引力がどんなものなのかが知りたい。


今のライブを否定するわけじゃなく、ただ、その先が観たいんだと言うのが
私が彼らに思ってることなんだと思います。
そのための枠を取っ払うには中山と小池がいらないんじゃないかとね。

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